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since Aug.2009.......「声低く語れ(parla basso)」というのはミケランジェロの言葉です。そして林達夫の座右の銘でもありました。                        ふだん私は教室でそれこそ「大きな声で」話をしている気がします。そうしないといけないこともあるだろうと思います。けれども、本当に伝えたいことはきっと「大きな声」では伝えられないのだという気がします。ということで、私の個人のページを作りました。
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[  05/18  言葉の力  ]
 ずっと放置してきたブログ。書くべきことはたくさんあるような気がするけれども、なかなかまとまって書けない。なので、まとめて書こうと思わないで、気楽に書くことにします。


最近、勉強するというか、学ぶというか、そういうことの基本がとても大きく崩れてきているような気がすることがよくある。状況や原因を追求していったら研究論文が一本書けそうな気がするくらい、そのくらい強い違和感を感じることがある。

学ぶことの半ばは「言葉」を覚えることのように思う。言語学的な議論をここでやろうとは思わないけれども、「言葉」はただコミュニケーションの媒介ではなく、「モノを見るため」のものであり、「思考するため」のものだと思う。「言葉」の中にはすでに「歴史」がつまっている。その国の文化がつまっている。だから英語を学ぶことは、本当は、「英語圏の文化や思考方法」まで学ぶことなのだと思う。例えば英語では「驚く」が「受動態」のようにして表される。明らかに日本語と違う。そこにはきっと深い歴史的・文化的な違い、あるいは自然環境などのあり方の違いなどが横たわっているのだと思う。

けれども、とりあえず日本語の話。

ここで言っている「言葉」は日常会話のものではない。勉強や学問と言われているものは、日常会話の言葉とちょっと違う言葉で行われている。そういう言葉を「概念」と言ってもいいのかもしれない。

経済学史の研究者だった内田義彦は、その「概念」を顕微鏡のようなものに例えた。普段の目では見えないものを見えるようにするものとしての言葉。日常の言葉で見えるものは、日常の世界だとすれば、日常の世界から離れた言葉でしか、日常ではない世界は捉えられない。見えてこない。そういう事だろうと思う。
例えばGDPとかGNP。それは日常の言葉ではみえてこない経済的な実体をさしている。ひとつの言葉=概念が生み出されることは、一つのいままで見えなかったなにかが見えてくることとほぼ同じだと思う。

そうした言葉をまず学んでほしい。
内田義彦は社会科学について述べているけれども、実は自然科学でも同じだと思う。

例えば力学的エネルギーの保存則と運動量の保存則。高校の物理で両方とも習う。初歩的な法則のように思われているかもしれない。けれども、ことはそれほど簡単ではなかった。実は、物体が他に影響を与える能力、運動の強さと言ってもいいのだろうか(これは日常的な言葉ですよね?)、これをとらえようとして、それが質量に比例するのは異論がなかった(=重たいほど影響力は大きい)けれども、(質量)☓(速度)に比例するとするデカルト、(質量)☓(速度の2乗)に比例するとするライプニッツ以来、150年ほども論争が続く。それが物体が他の物体に、「どういう影響をあたえるのか」ではっきり区別して、前者が運動量、後者が運動エネルギーと次元の異なる二つの量として捉えられるようになってはじめて決着がついた。
物理は「数理科学」として確立したから数学的な裏付けと「概念」がいったいになって提示されるけれども、「言葉=概念」抜きの数式は成り立たない。

そうした「言葉」をもっと大切にしてほしい。もっともっと大きい存在なのだと思う。言葉がなければ、ものも見えないし、思考することも難しいのだから。高校の勉強も、あるいは受験生の勉強も、その入口に立っているのだから。


これはいわゆる学問という世界ではないけれども、例えばヘレン・ケラーの逸話はひとつの言葉を獲得することのとてつもない大きさを示しているような気がする。他にもそういう例はある。
ずっと以前に森崎和江という人の本を読んだことがある。多分、1950年代に九州には炭鉱がたくさんあって、そこには学校にも行けず、字も知らない人たちがたくさんいた。そこに識字学校があった。字を覚えるための大人用の学校だ。
そこでの一人のおばあさんの話がとても印象的だった。
そのおばあさんはもう60歳過ぎ(もっと上だったかもしれない)。文字というものに触れる機会がなく生きてきた。そのおばあさんが、ある時、「朝」という漢字を教えてもらい、覚えた。そしてそのおばあさんは、次の日の朝、日の出をみてぼろぼろ泣いたそうだ。「朝」という文字をはじめて覚え、生まれて初めて、朝日がこんなにも美しいものだったのかと感じて、次から次へと涙が出てきたそうだ。

ひとつの文字を知ることで、いままで見てきた世界がガラっと姿を変えてしまう。そんな力を発揮することがある。それが言葉の力なのだと思う。学ぶことの多くの部分は、そうした言葉の力を身につけることのように思う。きっといまの生徒は、そのおばあさんより、何倍も、何十倍も知識がある。けれども、そのおばあさんほど、言葉の力を知っているわけではない。またそうしたことを伝えられていないように思う。
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森有正という哲学者がいる。東大助教授から官費留学生としてフランスに渡り、20年以上を経て、パリで客死した。これは彼の1967年の日記の一節。森有正全集からです。


 「これで今年も終わりに達した。とにもかくにも、今までに僕の送った最も実り豊かな年の一つであったように思う。いろいろと遺憾なこともあったにせよ、僕は心からそう思っている。なんとなれば、僕は自分がフランスでの生活の出発点にあると確信しているのだから。この出発点を、僕は遂に見いだしたのだ。あとは忍耐と辛抱とがあるだけである。僕はその中に自分を維持しなければならない。」(全集13巻 p378)

1950年にパリに官費留学生としてやってきて17年。パリに永住する決意を固め、『バビロンの流れのほとりにて』を刊行したのが1957年。パリにきてすでに7年がたっていた。それからさらに10年。その地点で森はパリでの生活の出発点を「遂に見いだした」と日記に書き付けたのだ。形容を拒否するような硬質な時間の流れ、いや流れというより結晶化がある。それは一つの意志として生きられた時間であり、その持続する意志の結晶化でもあると思う。それは深く私を励ます。

森の言葉にふれていると、自己の否定も肯定もそのいずれも安易なレベルにおいては何も意味がなく、実は同じことの別の表現に過ぎないことが良くわかる。彼は自己を否定も肯定もしていない。ただじっといわば自然の発酵過程のような彼の内部の時間の結晶化を見つめているように思える。
パリからの通信の第一作である『バビロンの流れのほとりにて』の冒頭、一つの生涯のはじめにすでにすべてが含まれ、現れていると述べている。そして戦争で死んだ若者が書き残した言葉にふれて、その精神が透明になる、自己が無になり自然だけが映し出される視野を捉えている。そこにはすでに<個人>がいなくなり、その透明な精神に<自然>がありのままに映し出される。
それは根源的な肯定であり、無為であり、運命であり、そういうものとしての<意志>でもあるのだろう。その透明な世界の中で<意志>は<運命>と出会うのだろう。自然と自然科学が捉える法則とはその外化された形なのかもしれない。明白に人間が、その意志が介在しながら、しかしそうすることである透明性を獲得する。


ここではもはや私がどこに向かうのか、それをあれこれ考えることにどれほどの意味があるだろうか、と思えてくる。
一人で<ここにいる>ことが大切なのだと思える。限りなく大切なことなのだと。「一人で」、と言うことを「孤独」に置き換えるなら、それはある意味で正しいが、そこに湿度を帯びたメランコリックなニュアンスが生まれるならそれは間違っている。そうではない。それはもっと強靱でなくてはならない。もっと透明にすべてを映し出すためには、端然とここに立ち続けなくてはいけない。人間の根にあるものはそういうことのような気がする。


ただ最近、パレスチナの文献などを読み進めているなかで、その<大地>の強さのようなものを強く感じるようになった。森有正に欠けているのは、その生命の力が<大地>に根ざしている感覚なのではないか。
彼はフランスやイタリアの情景を細やかに描写している。海がある。光がある。空があり、雲がある。吹き渡る風もある。荒々しい岩礁があり、岩山がある。
けれどもそこに土の匂いがするものはないように思う。またそうしたものを感じたことはない。彼の経験は端的に文明と文化に属し、またそれ以外には属していないように思う。あるいは彼の<大地>は日本にあったのだろか。そうかもしれない。しかしそれを感じたことはない。それは、あるいは彼がキリスト者であることに由来しているのだろうか。

けれども、私もまたそうした力をもたないものだろうと思う。そうした世界に帰属しないだろう。帰属しえないものなのか、帰属しないものなのかはわからない。それはまだわからない。けれども、今、この時点で事実の問題としてそう思う。だから私はいま大地の匂いのようなものを求めて<パレスチナ>に向かっているのかもしれない。ただそこに世界の諸問題の一つの集約点があるからだけではなく、知らなくてはいけない何事かがあるからではなく、私はその世界がNAKBA(パレスチナ人がいう大きな災厄=1948年の<出来事>)をこえ、いくつもの殺戮をこえ、なおかつ人間の力を失わず、あるいはそれを強めながら帰還すべき地点を望視しているからなのではないかと思う。

この世界は森が思っているよりも、別の美しさがあるのだと思う。
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