since Aug.2009.......「声低く語れ(parla basso)」というのはミケランジェロの言葉です。そして林達夫の座右の銘でもありました。 ふだん私は教室でそれこそ「大きな声で」話をしている気がします。そうしないといけないこともあるだろうと思います。けれども、本当に伝えたいことはきっと「大きな声」では伝えられないのだという気がします。ということで、私の個人のページを作りました。
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12/06
森有正の日記から 持続する意志
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森有正という哲学者がいる。東大助教授から官費留学生としてフランスに渡り、20年以上を経て、パリで客死した。これは彼の1967年の日記の一節。森有正全集からです。
「これで今年も終わりに達した。とにもかくにも、今までに僕の送った最も実り豊かな年の一つであったように思う。いろいろと遺憾なこともあったにせよ、僕は心からそう思っている。なんとなれば、僕は自分がフランスでの生活の出発点にあると確信しているのだから。この出発点を、僕は遂に見いだしたのだ。あとは忍耐と辛抱とがあるだけである。僕はその中に自分を維持しなければならない。」(全集13巻 p378)
1950年にパリに官費留学生としてやってきて17年。パリに永住する決意を固め、『バビロンの流れのほとりにて』を刊行したのが1957年。パリにきてすでに7年がたっていた。それからさらに10年。その地点で森はパリでの生活の出発点を「遂に見いだした」と日記に書き付けたのだ。形容を拒否するような硬質な時間の流れ、いや流れというより結晶化がある。それは一つの意志として生きられた時間であり、その持続する意志の結晶化でもあると思う。それは深く私を励ます。
森の言葉にふれていると、自己の否定も肯定もそのいずれも安易なレベルにおいては何も意味がなく、実は同じことの別の表現に過ぎないことが良くわかる。彼は自己を否定も肯定もしていない。ただじっといわば自然の発酵過程のような彼の内部の時間の結晶化を見つめているように思える。
パリからの通信の第一作である『バビロンの流れのほとりにて』の冒頭、一つの生涯のはじめにすでにすべてが含まれ、現れていると述べている。そして戦争で死んだ若者が書き残した言葉にふれて、その精神が透明になる、自己が無になり自然だけが映し出される視野を捉えている。そこにはすでに<個人>がいなくなり、その透明な精神に<自然>がありのままに映し出される。
それは根源的な肯定であり、無為であり、運命であり、そういうものとしての<意志>でもあるのだろう。その透明な世界の中で<意志>は<運命>と出会うのだろう。自然と自然科学が捉える法則とはその外化された形なのかもしれない。明白に人間が、その意志が介在しながら、しかしそうすることである透明性を獲得する。
ここではもはや私がどこに向かうのか、それをあれこれ考えることにどれほどの意味があるだろうか、と思えてくる。
一人で<ここにいる>ことが大切なのだと思える。限りなく大切なことなのだと。「一人で」、と言うことを「孤独」に置き換えるなら、それはある意味で正しいが、そこに湿度を帯びたメランコリックなニュアンスが生まれるならそれは間違っている。そうではない。それはもっと強靱でなくてはならない。もっと透明にすべてを映し出すためには、端然とここに立ち続けなくてはいけない。人間の根にあるものはそういうことのような気がする。
ただ最近、パレスチナの文献などを読み進めているなかで、その<大地>の強さのようなものを強く感じるようになった。森有正に欠けているのは、その生命の力が<大地>に根ざしている感覚なのではないか。
彼はフランスやイタリアの情景を細やかに描写している。海がある。光がある。空があり、雲がある。吹き渡る風もある。荒々しい岩礁があり、岩山がある。
けれどもそこに土の匂いがするものはないように思う。またそうしたものを感じたことはない。彼の経験は端的に文明と文化に属し、またそれ以外には属していないように思う。あるいは彼の<大地>は日本にあったのだろか。そうかもしれない。しかしそれを感じたことはない。それは、あるいは彼がキリスト者であることに由来しているのだろうか。
けれども、私もまたそうした力をもたないものだろうと思う。そうした世界に帰属しないだろう。帰属しえないものなのか、帰属しないものなのかはわからない。それはまだわからない。けれども、今、この時点で事実の問題としてそう思う。だから私はいま大地の匂いのようなものを求めて<パレスチナ>に向かっているのかもしれない。ただそこに世界の諸問題の一つの集約点があるからだけではなく、知らなくてはいけない何事かがあるからではなく、私はその世界がNAKBA(パレスチナ人がいう大きな災厄=1948年の<出来事>)をこえ、いくつもの殺戮をこえ、なおかつ人間の力を失わず、あるいはそれを強めながら帰還すべき地点を望視しているからなのではないかと思う。
この世界は森が思っているよりも、別の美しさがあるのだと思う。
「これで今年も終わりに達した。とにもかくにも、今までに僕の送った最も実り豊かな年の一つであったように思う。いろいろと遺憾なこともあったにせよ、僕は心からそう思っている。なんとなれば、僕は自分がフランスでの生活の出発点にあると確信しているのだから。この出発点を、僕は遂に見いだしたのだ。あとは忍耐と辛抱とがあるだけである。僕はその中に自分を維持しなければならない。」(全集13巻 p378)
1950年にパリに官費留学生としてやってきて17年。パリに永住する決意を固め、『バビロンの流れのほとりにて』を刊行したのが1957年。パリにきてすでに7年がたっていた。それからさらに10年。その地点で森はパリでの生活の出発点を「遂に見いだした」と日記に書き付けたのだ。形容を拒否するような硬質な時間の流れ、いや流れというより結晶化がある。それは一つの意志として生きられた時間であり、その持続する意志の結晶化でもあると思う。それは深く私を励ます。
森の言葉にふれていると、自己の否定も肯定もそのいずれも安易なレベルにおいては何も意味がなく、実は同じことの別の表現に過ぎないことが良くわかる。彼は自己を否定も肯定もしていない。ただじっといわば自然の発酵過程のような彼の内部の時間の結晶化を見つめているように思える。
パリからの通信の第一作である『バビロンの流れのほとりにて』の冒頭、一つの生涯のはじめにすでにすべてが含まれ、現れていると述べている。そして戦争で死んだ若者が書き残した言葉にふれて、その精神が透明になる、自己が無になり自然だけが映し出される視野を捉えている。そこにはすでに<個人>がいなくなり、その透明な精神に<自然>がありのままに映し出される。
それは根源的な肯定であり、無為であり、運命であり、そういうものとしての<意志>でもあるのだろう。その透明な世界の中で<意志>は<運命>と出会うのだろう。自然と自然科学が捉える法則とはその外化された形なのかもしれない。明白に人間が、その意志が介在しながら、しかしそうすることである透明性を獲得する。
ここではもはや私がどこに向かうのか、それをあれこれ考えることにどれほどの意味があるだろうか、と思えてくる。
一人で<ここにいる>ことが大切なのだと思える。限りなく大切なことなのだと。「一人で」、と言うことを「孤独」に置き換えるなら、それはある意味で正しいが、そこに湿度を帯びたメランコリックなニュアンスが生まれるならそれは間違っている。そうではない。それはもっと強靱でなくてはならない。もっと透明にすべてを映し出すためには、端然とここに立ち続けなくてはいけない。人間の根にあるものはそういうことのような気がする。
ただ最近、パレスチナの文献などを読み進めているなかで、その<大地>の強さのようなものを強く感じるようになった。森有正に欠けているのは、その生命の力が<大地>に根ざしている感覚なのではないか。
彼はフランスやイタリアの情景を細やかに描写している。海がある。光がある。空があり、雲がある。吹き渡る風もある。荒々しい岩礁があり、岩山がある。
けれどもそこに土の匂いがするものはないように思う。またそうしたものを感じたことはない。彼の経験は端的に文明と文化に属し、またそれ以外には属していないように思う。あるいは彼の<大地>は日本にあったのだろか。そうかもしれない。しかしそれを感じたことはない。それは、あるいは彼がキリスト者であることに由来しているのだろうか。
けれども、私もまたそうした力をもたないものだろうと思う。そうした世界に帰属しないだろう。帰属しえないものなのか、帰属しないものなのかはわからない。それはまだわからない。けれども、今、この時点で事実の問題としてそう思う。だから私はいま大地の匂いのようなものを求めて<パレスチナ>に向かっているのかもしれない。ただそこに世界の諸問題の一つの集約点があるからだけではなく、知らなくてはいけない何事かがあるからではなく、私はその世界がNAKBA(パレスチナ人がいう大きな災厄=1948年の<出来事>)をこえ、いくつもの殺戮をこえ、なおかつ人間の力を失わず、あるいはそれを強めながら帰還すべき地点を望視しているからなのではないかと思う。
この世界は森が思っているよりも、別の美しさがあるのだと思う。
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