since Aug.2009.......「声低く語れ(parla basso)」というのはミケランジェロの言葉です。そして林達夫の座右の銘でもありました。 ふだん私は教室でそれこそ「大きな声で」話をしている気がします。そうしないといけないこともあるだろうと思います。けれども、本当に伝えたいことはきっと「大きな声」では伝えられないのだという気がします。ということで、私の個人のページを作りました。
先日、少しふれたことの続き。
1日遅れてしまったが、1940年9月26日、フランスとスペインの国境地帯に広がるピレネー山中で服毒死した。ヴァルター・ベンヤミン、48歳。フランクフルト学派の社会学者であり、ユダヤ人であり、ナチスの迫害を逃れ、膨大な未完の原稿をかかえ、逃げまどった末の自死だった。
ベンヤミンは現在でも大きな大きな影響を与え続けている。私の書棚の中でも社会科学系の著作の中では、ベンヤミンの書いたものがもっとも量的に多いかも知れない。
ベンヤミンがピレネーにさしかかった頃、その山脈の近くには20世紀最大のチェロ奏者といわれるパブロ・カザルスもいた。
スペイン・カタルーニャ地方で生まれた彼は、フランコが軍事クーデターを起こし、スペインの政権を奪取。フランスに亡命。そのフランコがヒトラー、ムソリーニと親密な関係を築くなかナチスへ抵抗を続けた。フランコは1975年に没するまでスペインを独裁的支配下に置く。そしてカザルスは、1973年に没し、生涯スペインに戻ることができなかった。
そのカザルスの1939年録音のバッハの無伴奏チェロ組曲をもっている。彼はピレネー山麓の亡命地で、スペインを、カタロニアを想い、毎日、6曲ある無伴奏チェロ組曲を1曲ずつ弾いていたという。
ときどき、ふとベンヤミンが薬をあおったとき、カザルスは何をしていたのだろうと思うことがある。
受験の現代文を読んでいて、美術史家の若桑みどりの文章に出会った。少し引用しておこうと思う。
「私のように、幼い頃から価値体系が崩れたり、立て直されたり、また壊れたりしてきたのを見続けてきた世代の人間は、この絶望感から救われるには、人よりも少しずつ前後に長い時間の意識を持たなければ到底生きてはいけない。私が歴史家になったのは主として絶望感のためである。」
戦争を挟んで、巨大な価値観の転換が日本に起こった。その時代を生きてきたのだろう。そして若桑は自分の歴史研究についてこう述べている。
「私が、これらのことを鋭く感じるのは、私がレオナルドやミケランジェロのように、同時代人によってすでに崇拝されていた芸術家ではなく、同時代人とそれに続く数世代の人間によって低く評価された芸術家や、エポックを研究しているせいであろう。同時代人によって叩かれた芸術家が、時の流れを生き延びてわれわれのところに漂着するのは、とてもむずかしく、おそらく多くの人々が、死んで沈んでしまった。
(中略)
いわれない差別に苦しんだ無数の人々、すべてのふさわしい報いを受けなかった有徳の人や天才や不幸な恋人たちの『魂』はどこで救われるのか! 歴史は大いなる暗闇である。不具にされ、変形され、ときには惨殺された『真実』がルイルイと横たわっている。そこに行くにはコクトーの『オルフェ』のように、非常な苦しみをもって時間をさかのぼらなければならない。それが深海や宇宙の暗黒とことなることがあろうか?」
カザルスやベンヤミンは、同時代人によってすでによく知られた存在だ。
若桑の視界は、彼らの向こう側に、ハンナ・アレントの言葉を借りていえば「忘却の穴」に飲み込まれ、沈んでいこうとするものを、あるいは沈んでしまったものを捉え、掬い上げようとしている。それはたぶん、若桑自身のための歴史でもあるはずだ。そして彼女は、自分の研究と言葉と存在をつうじて、沈み込み、途絶えてしまいそうな人間の歴史の細い糸をつなげていこうとしていたのだと思う。
私もまたその糸を、その端っこをほんの少しだけ、誰かにつなげられたら、と願っている。
★ベンヤミンの本は岩波現代文庫から「パサージュ論」(全5巻)、岩波文庫から評論集として「暴力批判論」「ボードレール」、ちくま学芸文庫から「ベンヤミン コレクション」(全4巻)、「ドイツ悲劇の根源」(上・下)、平凡社ライブラリーから「子どものための文化史」などが出ている。
研究書は数知れない。
ベンヤミンの一つのテクストの詳細な読解を行っているものとして、岩波現代文庫から多木浩二の「『複製技術時代の芸術作品』精読」、今村仁司の「『歴史哲学テーゼ』精読」が出ている。
1日遅れてしまったが、1940年9月26日、フランスとスペインの国境地帯に広がるピレネー山中で服毒死した。ヴァルター・ベンヤミン、48歳。フランクフルト学派の社会学者であり、ユダヤ人であり、ナチスの迫害を逃れ、膨大な未完の原稿をかかえ、逃げまどった末の自死だった。
ベンヤミンは現在でも大きな大きな影響を与え続けている。私の書棚の中でも社会科学系の著作の中では、ベンヤミンの書いたものがもっとも量的に多いかも知れない。
ベンヤミンがピレネーにさしかかった頃、その山脈の近くには20世紀最大のチェロ奏者といわれるパブロ・カザルスもいた。
スペイン・カタルーニャ地方で生まれた彼は、フランコが軍事クーデターを起こし、スペインの政権を奪取。フランスに亡命。そのフランコがヒトラー、ムソリーニと親密な関係を築くなかナチスへ抵抗を続けた。フランコは1975年に没するまでスペインを独裁的支配下に置く。そしてカザルスは、1973年に没し、生涯スペインに戻ることができなかった。
そのカザルスの1939年録音のバッハの無伴奏チェロ組曲をもっている。彼はピレネー山麓の亡命地で、スペインを、カタロニアを想い、毎日、6曲ある無伴奏チェロ組曲を1曲ずつ弾いていたという。
ときどき、ふとベンヤミンが薬をあおったとき、カザルスは何をしていたのだろうと思うことがある。
受験の現代文を読んでいて、美術史家の若桑みどりの文章に出会った。少し引用しておこうと思う。
「私のように、幼い頃から価値体系が崩れたり、立て直されたり、また壊れたりしてきたのを見続けてきた世代の人間は、この絶望感から救われるには、人よりも少しずつ前後に長い時間の意識を持たなければ到底生きてはいけない。私が歴史家になったのは主として絶望感のためである。」
戦争を挟んで、巨大な価値観の転換が日本に起こった。その時代を生きてきたのだろう。そして若桑は自分の歴史研究についてこう述べている。
「私が、これらのことを鋭く感じるのは、私がレオナルドやミケランジェロのように、同時代人によってすでに崇拝されていた芸術家ではなく、同時代人とそれに続く数世代の人間によって低く評価された芸術家や、エポックを研究しているせいであろう。同時代人によって叩かれた芸術家が、時の流れを生き延びてわれわれのところに漂着するのは、とてもむずかしく、おそらく多くの人々が、死んで沈んでしまった。
(中略)
いわれない差別に苦しんだ無数の人々、すべてのふさわしい報いを受けなかった有徳の人や天才や不幸な恋人たちの『魂』はどこで救われるのか! 歴史は大いなる暗闇である。不具にされ、変形され、ときには惨殺された『真実』がルイルイと横たわっている。そこに行くにはコクトーの『オルフェ』のように、非常な苦しみをもって時間をさかのぼらなければならない。それが深海や宇宙の暗黒とことなることがあろうか?」
カザルスやベンヤミンは、同時代人によってすでによく知られた存在だ。
若桑の視界は、彼らの向こう側に、ハンナ・アレントの言葉を借りていえば「忘却の穴」に飲み込まれ、沈んでいこうとするものを、あるいは沈んでしまったものを捉え、掬い上げようとしている。それはたぶん、若桑自身のための歴史でもあるはずだ。そして彼女は、自分の研究と言葉と存在をつうじて、沈み込み、途絶えてしまいそうな人間の歴史の細い糸をつなげていこうとしていたのだと思う。
私もまたその糸を、その端っこをほんの少しだけ、誰かにつなげられたら、と願っている。
★ベンヤミンの本は岩波現代文庫から「パサージュ論」(全5巻)、岩波文庫から評論集として「暴力批判論」「ボードレール」、ちくま学芸文庫から「ベンヤミン コレクション」(全4巻)、「ドイツ悲劇の根源」(上・下)、平凡社ライブラリーから「子どものための文化史」などが出ている。
研究書は数知れない。
ベンヤミンの一つのテクストの詳細な読解を行っているものとして、岩波現代文庫から多木浩二の「『複製技術時代の芸術作品』精読」、今村仁司の「『歴史哲学テーゼ』精読」が出ている。
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COMMENT
■ Re:無題
久しぶりやね。
コメントありがとう。
まぁたまには大学のレポートでもおくってくれるとうれしいです。
この若桑みどりの文章、確か、出来が悪かったような気がするなぁ。でもいまはずっと言葉の奥に入っていけるようになったかな。
コメントありがとう。
まぁたまには大学のレポートでもおくってくれるとうれしいです。
この若桑みどりの文章、確か、出来が悪かったような気がするなぁ。でもいまはずっと言葉の奥に入っていけるようになったかな。