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since Aug.2009.......「声低く語れ(parla basso)」というのはミケランジェロの言葉です。そして林達夫の座右の銘でもありました。                        ふだん私は教室でそれこそ「大きな声で」話をしている気がします。そうしないといけないこともあるだろうと思います。けれども、本当に伝えたいことはきっと「大きな声」では伝えられないのだという気がします。ということで、私の個人のページを作りました。
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トランプの勝利、堤未果のアメリカ関係のレポートをほぼすべて読む。医療現場の崩壊的な状況は凄まじい。
 現場の医師はどうしているのか?
 医学部志望の生徒が毎年少なくないこともあって、アトゥール・ガワンデ『医師は最善を尽くしているか』、ジェローム・グループマン『医者は現場でどう考えるか』を読む。いまはダニエル・オーフリ『医師の感情』を読んでいる。

 個別指導の現場にいるものとしてそこらの学習論や受験指南書などよりもはるかに学ぶものがある。ないようはおいおい何らかの形で出していく。

 ただアメリカの医師たちの驚くほどの率直さ、何の衒いもなく、茶化すこともなく、卑下することも誇示することもなく自分の揺れ動く思考や感情を切り開いていく。そして自分の誤診、その患者の死を淡々と語り、しかも経験をききに行った相手の医者にも「一番最近の誤診はなんですか?」とまっすぐにきく。そして相手は一瞬ためらい、そして答える。「一番最近の誤診」。いままでいくつもあったが、その中で一番最近のものは、ときいている。こんなことをきき、相手は答える。そして文章に公開してしまう。その姿に感動すらする。

 それを支えているのは患者への眼差しだろう。

 振り返って考えることが多々ある。恥じ入ることもある。

 人間をみて、人間と人間の格闘が行われている現場として医療の場がある。そこで医師は闘い続けている。戦場は違うけれども、まだまだやらなければいけないこと、やれるかもしれないことがあるような気がする。
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[  02/15  メモ:  ]
数学にしても英語にしても、あるいは現代文やその他にしても、その教科の「学力」を構成する力を明確にすること。

 たとえば数学は、
 数学的知識、計算力、数式の処理能力(同値関係についての認識や論理力を含む)、論理力、分析力、発想力、試行錯誤する力、具体的なものから抽象的なものをつかみ出す力、逆に抽象的・一般的なものを具体的に捉える力、図形・グラフなどの視覚的な対象のイメージ力・把握力…
 ざっと考えてもいろいろと出てくる。

 これはたとえば漸化式ができないから数列の極限ができないとか、三角関数の処理能力が不足して数Ⅲの微積分ができない、というような意味での数学的体系における内容的な構成要素とは違う。論理力がないから数学1Aの集合と論理のところを勉強する、ということではない。あらゆるところで学ぶことであり、また学ばない人は、あらゆるところで学ばない。

 単元別ではなく、こうした、なんと言ったらいいのだろう?「能力別」というべきか? そういう切り口で自分の力を分析し、対象化し、それを踏まえて学習するというあり方を作りあげることができれば、かなり大きな飛躍が可能になると思う。

**********

 現代文を読む力にしても、かなり多くの要素があるんだけどな。
 けれども現代文を「問題をとくため」に読んでほしくない。読み捨てにすべきではない。あれだけの文章を読み続けているのに、何もそこから汲み出さないのであれば、本当に現代文という教科が悲しむ。
G・バシュラールの科学哲学における「認識論的障害」とその「認識論的切断」は、通常の学習の中でも課題になる。

 学力は、結局のところ、その人の内部にしか存在しないから、その状態を把握するのはそれほど簡単なことではない。テストや様々な角度から測定をしようとしても、測りきれるものではない。ましてやそれが将来においてどう変化するなどということは誰にもわからない。わかるかもしれないが、そうしたことを研究したものをまだみたことがない。

 内部にしか存在しない学力を意識化・対象化しようとする生徒とそうではない生徒がいる。講師は把握しようとするけれども、それも生徒本人が自分で把握しようとしていなければ、それほど役に立たない。そもそも把握することが困難になるし、ある程度、その論理、傾向、メカニズムなどをつかみ出して指導方針・学習方針をたてても、その前提になる認識が生徒本人と一致していなければ、つまり問題意識を共有していなければ、その「正しい方針」も外在的なものにしかならず、たいした意味を持たない。

 本人にやる気があって、なおかつ困難に直面することもある。
 それが例えば数学でいえば◯◯が弱いとか、英語の文法力が不足しているとかそういう言葉で捉えることができるようなことがらであれば、それほど問題ではない。その課題に対する対処はあるし、解決は必要な作業量も含めてある程度推測がつく。

 問題は、学習や思考のメカニズムや傾向というようなものをたださないといけない場合だ。この点にまで踏み込まないといけない場合は、◯◯をいつまでに何回くらいやる、とか、まずは△△をやってそれからこういう問題を解いて…というような方針形成ができない。
 あらゆる局面で、あらゆる単元で、その「メカニズム」や「傾向」とのたたかいになる。端的にいえば、「壊れている」というべき状態の場合がある。
 あることをしらないとして、それは習ってもいるし、テキストにも書いてある。
 そしてそれを勉強もしている。
 ではなぜ「知らない」という状態が生みだされるのか。

 このことが解決されないかぎり、量的拡大がもたらすものはただの疲労だけになってしまう。

 この「知らない」は、空白ではない。空白なのであれば、単純に勉強すればいいだけのことがけれども、空白ではない「知らない」状態は単純に勉強しても解決しない。

 バシュラールは、科学の飛躍的進歩の局面において、空白としての中世的な「無知」にたいして、「正しい科学的知識」を注入したのではなかったし、それはできないとしている。その「無知」は空白ではない。実際、ガリレオは逍遙学派(アリストテレス派)との熾烈なたたかいを繰り広げざるを得なかった。それは現在から見れば巨大な「予断・偏見・誤解・誤謬」の織りなす構築物であって、ローマ・カソリックとアリストテレスの権威を背景に強固に構築されていた。それをバシュラールは「認識論的障害」という。だから「近代科学的知見」は空白に注入されたものではなく、まずは、その認識論的障害を破砕することが必要になった。つまり「認識論的切断」が必要になった。誤った認識論的な仕組み、蓄積物を破壊しないかぎり新規の認識を獲得することができない。

 科学史と科学哲学にたったバシュラールの論は、ほとんど日々の学習の論でもありうる。
 プルーストの「見出されし時」を続けて読む。物を読むということは透明を担うものでなければならない。透明になってくるまで、緩っくりと、倦むことなく、何度でもやりなおさなければならない……。感性と知識と表現との堅固な網が僕の内に形成される。その網の固い結び目(ゴルディアス王の結び目)は僕の内奥に在るのだ。《花開くような》自己形成。そこでは行動が記憶に優先する。成長に伴う苦痛が僕をつらぬくが、僕はそれを歓んで耐える。(「全集」14巻 p215)

 こうした奥行きに到達することがいつかは出来るのだろうか。
 森有正の日記をときどき読むにつけ、そうした思いにかられる。いつものことだが、彼の文章を読むのは自分を打ちのめそうとしている時なのではないかと思う。何かを学び取るとか、知るとか、あるいは「感動する」とか、そうしたことを求めて読むということからはるかに遠いところに私にとっての森有正の言葉は存在している。その深みに触れたいと思うということでもない。彼が考えていたということを知りたいということとも異なる。ただそのページを開いても、理解するということを拒絶するような硬質なものに遭遇することになる。

 一時期、アンゲロプロスの映画を立て続けに見ていたことがあった。その感覚に近いかもしれない。簡単に、あるいは永遠に理解するということが出来ないかもしれないと思わせるものがそこに在る。そう思った時、モノに触れるということはこういうことなのか、と感じたことがある。例えば山に登っている時、その風景に接して言葉を失ってしばらくその場に立ちつくす。その時、何かを解釈したり、その意味を考えたりするわけではない。その風景はそんなことを求めてはいない。あれこれと言葉をならべはじめたとき、その風景は私から遠ざかる。そうやって遠ざかりながら、言葉を通してしかみることができない風景もある。けれども遠ざかることで見えなくなることも当然、ある。
 アンゲロプロスの映画や森の言葉にはそうしたことにつながるものがあるような気がする。
 ベンヤミンの「認識批判的序説」を読むのを断念した。いったいどれくらいの時間をこの文章の上に投入してきただろうか。

 細部をクリアにできるか全体の構造がつかめるか、いずれかがはっきりしてくるならばそれなりに解きほぐしていけるのだろうが、いまの私の力量ではその両方が一つの像を結ばない。理念、概念、現象…そんな基本的なタームがわからない。すべてにおいて曖昧で、ぐにゃぐにゃした状態を脱することができない。
 ベンヤミンの研究書だって読んだんだ。それは通り一遍にわかる。けれども、どうにもこうにも「なるほど」と腑に落ちるものが何もない。

 並行してベンヤミンの言語理論を少し繙いてみた。著作集の3巻。「言語と社会」所収のもの。最初の論文は、彼が24歳の時に書いた「言語一般および人間の言語」。驚いた。ベンヤミンの言語についての認識は私の想像とはまったくことなっていた。そしてその7年後に書いた上記の「認識批判的序説」は部分的にその直接的な延長線上で書かれている。

 ベンヤミンは事物の言語を考えている。人間の言語だけではなく、事物に精神的本質を認め、その言語について論じている。それは彼がユダヤ教徒であったことに起因しているのかもしれない。そうか、と思う。創世記は言葉=ロゴスにはじまる。事物は神がつくったものとして精神的・言語的本質を有するものとして彼には感得されている。

 読めないはずだ。私は言語をどこまでも人間の言語のうちで考えていた。まったく世界の感受の仕方がちがう。


 そういえば、得心のいくことがある。

 幼年時代にこだわり、事物のデティールに滑りこむようにして彼は歴史を幼年期に向かって遡上する。それは箪笥のかげで、納戸のおくで、庭の隅の植え込みの向こう側でおこなわれる一つの冒険だ。
 そして晩年の彼はパリのパサージュ論の大量の論稿をかかえていた。パリの街路の19世紀の姿を活写する。
 そうか、と思う。

 ベンヤミンにとってこの世界は、囁くような言葉に満ちていたのかもしれない。それはいま目に見えているものの声ではない。「歴史哲学テーゼ」では、過去の廃墟に潜む鈍く光るものを救済しようとする。そしてその廃墟の中には1919年の血の海に沈められたドイツ革命や暗殺されたローザ・ルクセンブルグが立っているに違いない。

 世界は、事物は、あるいは歴史をその衣の下に潜ませた事物は、ベンヤミンのこっそりとささやきかけていたような気がする。それはちょうど、ナチス支配下のパリで、ユダヤ人であるベンヤミンたちがひっそりとした短い言葉でしか本当に言いたいことを語ることができなかったことと同じなのかもしれない。


 そうしたベンヤミンの姿を捉えたい。その視界を垣間見たい。
 だからいま、ベンヤミンの言語論を読み、あわせてパサージュ論を読み始めた。ついでにへいこうしてアドリアンヌ・モニエの「オデオン通り」を読んでいる。書店「本の友の家」を主催し、1920年代、30年代のパリのアヴァンギャルドたちのなかに場所を提供した彼女の回想には、オデオン通りを遊歩するベンヤミンがもうすぐ姿を見せることになる。

 文学を志し、ポール・ヴァレリーのもとに通い、周囲の心配する声にもかかわらず収容所にとらわれたユダヤ人たちの支援活動をしていたエレーヌ・ベールという女性がいる。ユダヤ人として、非ユダヤの友人たちのナチスに対するあまりの鈍感さに直面しながら、彼女はどこかで自分も収容所で命を落とすことになるだろうとどこかで予感し、それでもパリを脱出しなかった。少し前に彼女の日記は邦訳が出版された。日記は彼女が強制収容所に連行される直前で終わっている。もう日記を書くこと、書き残すことはできなかった。

 きっとオデオン通りにはエレーヌも姿を見せたことだろう。ひょっとするとベンヤミンと彼女はどこかですれ違っていたかもしれない。1930年代はそうした時代だった。そのなかでベンヤミンは小さな消されてしまいそうな言葉を聞き届けていたのだろう。


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