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since Aug.2009.......「声低く語れ(parla basso)」というのはミケランジェロの言葉です。そして林達夫の座右の銘でもありました。                        ふだん私は教室でそれこそ「大きな声で」話をしている気がします。そうしないといけないこともあるだろうと思います。けれども、本当に伝えたいことはきっと「大きな声」では伝えられないのだという気がします。ということで、私の個人のページを作りました。
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【医師・医学者・医療従事者とその現場から】

■ジェローム・グループマン『医者は現場でどう考えるか』(石風社)
■ジェローム・グループマン『毎日が贈りもの』(サンマーク出版)
■ダニエル・オーフリ『医師の感情~「平静の心」が揺れるとき』(医学書房)
■アーサー・クラインマン『病の語り~慢性の病をめぐる臨床人類学』(誠信書房)
■アトゥール・ガワンデ『医者は最善を尽くしているか~医療現場の常識を変えた11のエピソード』(みすず書房)
■ヘンリー・マーシュ『脳外科医マーシュの告白』(NHK出版)

■西村ユミ『語りかける身体』(ゆみる出版)

■松永正訓『運命の子 トリソミー』(小学館)
■松永正訓『小児固形がんと闘う 命のカレンダー』(講談社)
■吉岡秀人『死にゆく子どもを救え 途上国医療現場の日記』(冨山房インターナショナル)


【医療過誤、医療過誤の被害から】
■ソレル・キング『ジョージィの物語~小さな女の子の死が医療にもたらした大きな変化』(英治出版)
■勝村久司『僕の「星の王子さま」へ』(幻冬舎文庫)


【医者はどのような存在になりうるのか。どのような社会的関わりがあるのか 肯定的にも、否定的にも】
■菅谷昭『チェルノブイリ診療記』(新潮文庫)
■NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命』(新潮文庫)
■津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(岩波書店)
■アレキサンダー・ミッチャーリッヒ/フレート・ミールケ『人間性なき医学~ナチスと人体実験』(ビイング・ネット・プレス)
■原田正純『宝子たち~胎児性水俣病に学んだ50年』(弦書房)
■原田正純『水俣病』(岩波新書)
■石牟礼道子・水俣三部作


【地震・大災害、原爆と医療・医者の役割】
■中井久夫
■安克昌
■肥田舜太郎


【医療をめぐる考察のために】
■鷲田清一『「聴く」ことの力~臨床哲学試論』(筑摩書房)
■M・フーコー『臨床医学の誕生』(みすず書房)
■中井久夫『西欧精神医学背景史』(みすず書房)
■中井久夫『治療文化論 精神医学的再構築の試み』(岩波現代文庫)
■津田敏秀『医学的根拠とは何か』(岩波新書)
■津田敏秀『医学と仮説』(岩波科学ライブラリー)
■梶田昭『医学の歴史』(講談社学術文庫)
■山本義隆『16世紀文化革命』(2巻本)(みすず書房)
■米国医療の質委員会/医学研究所『人はだれでも間違える より安全な医療システムを目指して』
■米国医療の質委員会/医学研究所『医療の質 谷間を越えて21世紀システムへ』
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トランプの勝利、堤未果のアメリカ関係のレポートをほぼすべて読む。医療現場の崩壊的な状況は凄まじい。
 現場の医師はどうしているのか?
 医学部志望の生徒が毎年少なくないこともあって、アトゥール・ガワンデ『医師は最善を尽くしているか』、ジェローム・グループマン『医者は現場でどう考えるか』を読む。いまはダニエル・オーフリ『医師の感情』を読んでいる。

 個別指導の現場にいるものとしてそこらの学習論や受験指南書などよりもはるかに学ぶものがある。ないようはおいおい何らかの形で出していく。

 ただアメリカの医師たちの驚くほどの率直さ、何の衒いもなく、茶化すこともなく、卑下することも誇示することもなく自分の揺れ動く思考や感情を切り開いていく。そして自分の誤診、その患者の死を淡々と語り、しかも経験をききに行った相手の医者にも「一番最近の誤診はなんですか?」とまっすぐにきく。そして相手は一瞬ためらい、そして答える。「一番最近の誤診」。いままでいくつもあったが、その中で一番最近のものは、ときいている。こんなことをきき、相手は答える。そして文章に公開してしまう。その姿に感動すらする。

 それを支えているのは患者への眼差しだろう。

 振り返って考えることが多々ある。恥じ入ることもある。

 人間をみて、人間と人間の格闘が行われている現場として医療の場がある。そこで医師は闘い続けている。戦場は違うけれども、まだまだやらなければいけないこと、やれるかもしれないことがあるような気がする。
  慶応大学の入試問題から始まって、岡真理『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房 2008/12/19発行)を読み上げた。

パレスチナの紛争と難民問題、戦争と虐殺とその中での文学を正面から、愚直なまでに正面から扱っている。しかも「この状況の中でアラブ文学を研究している自分とその研究とは一体なんなんだ」という問いを発しながら、だ。あとがきに寄れば岡は8年間、その問いを自分に発し続けたという。

重い読後感だ。気楽に読める本ではない。

しかしそれは閉鎖的な重さではない。むしろその世界は暴力と殺戮と様々な人間的な悲惨に満ちあふれながらも、その現実を見つめながらも、なおかつ広々と開けたものを感じさせる。それは明らかに60年に及ぶパレスチナの難民の生活、イスラエルの抑圧と暴力の中でなお「私たちはやはり、命の味方なのよ、私たちパレスチナ人は」(「アーミナの縁結び」より重引 p33)という、パレスチナ人の存在に連なり、根ざしているからだろう。

本来、文学は特に小説はフィクションであり、フィクションであるところに意味がある。フィクションであると言うことは、現実には無である、無でしかない、と言うことでもあるかもしれない。現実においてこれほど無意味で無力なものはない。しかし、だからこそ文学は祈りなのだと岡は言う。

小説は、そのフィクション性によって巨大な暴力に充ち満ちた世界と拮抗する。現実の巨大さに対してたった「一人の人間」を対置する。現実に対して、どこにも存在することのできない夢想を、魂を対置する。それは現実の世界においてあり得ることのない一つの緊張した拮抗だ。例えばパウル・ツェランが「投壜通信」として詩を表現したように、かすかな、ある意味ではありえないような夢や希望に、その微かな糸にすべてを託して現実の重圧の中で呼吸し、生き続けるための文学だ。だからこそ「祈りとしての文学」と岡は書いているのだろう。

そしてこの「祈りとしての文学」はパレスチナに立脚することで、ある種の帰属すべき世界を確保している。あるいは「帰還すべき大地」を内包している。どこかでこの本は強く踏ん張り、立ち続けている姿を想起させる。その強さは私には「大地のもつ強さ」のように感じられる。そしてそれはパレスチナ人が60年に及ぶ難民生活の中でなおも「故郷を呼ぶ」と言い続けている、記憶すると言い続けている、その「故郷」につらなりながら、想像力のうちに捉えているからでもあるように思う。



岡はまっすぐにパレスチナに依拠する。岡の本は、献辞こそ掲げられていないが、明らかにパレスチナの凡ての人々に捧げられている。文学が祈りであるように、文学について書かれたこの本は祈りについての言説であり、岡の祈りそのものでもある。

引用したくなる部分はたくさんある。が、いま、それは禁欲しよう。
  岩波の『思想』に掲載された岡真理の文章に、戦争の対義としての文学というものがあった。それはサルトルの言葉、「アフリカの飢えた子どもたちに文学は何ができるか」という問いをうけ、ナスラッラーの「アーミナの縁結び」などにふれながら書かれたものだった。
私は、その時、ナスラッラーやカズオ・イシグロを彼女が「戦争に対義できる文学」と捉えているように読んでいた。だからパウル・ツェランやプリモ・レーヴィにふれつつ、文学は戦争に対しつつ、しかし対し切れたのか?と問いたかった。またサルトルの言葉に対する岡の立ち位置も、はっきりと対立するものだと捉えていた。
あいだにアドルノの言葉が挟まれていたこともあるが、それらはどうやらはっきりとした誤読だった。


岡は何よりもまずサルトルと同じ問いを自らに向けて発するところから出発していた。
『アラブ、祈りとしての文学』(岡真理 みすず書房)という本を読むことができた。その冒頭は次のような章で始まる。「小説、この無能なものたち」。そしてヨルダン川西岸北部のジェニン難民キャンプが徹底的に破壊されるさまにふれながら、こう書く。
「あの頃、朝、電子メールを開くたびに、パレスチナ各地から、悲鳴のようなメールが世界中を転送されて何通も届いていた。いても立ってもいられぬ思いで、4月末、私はパレスチナに赴いた。〔…〕/このような現実を前に、私は、自分がアラブ文学研究者であることの意味を問い直さずにはおれなかった。ジャーナリストなら、この現実を写真や文章で広く世界に伝えることができる。医者であれば現地に赴き、傷ついた人々を助けることができる。手品師なら鮮やかなマジックで、怯える子どもたちに束の間の笑顔をとりもどしてやれる。だが、私はアラブ文学者だった。それは恐ろしく無能で、役立たずのことのように思われた。」(p2)
サルトルの問いは、まず彼女自身の自らへの問いとしてあったのだ。自らの無能さ、無力さへの歯ぎしりするような思いとともにあった。
この本は、このような現実から始まる。そしてアラブで何が起こっているのか、パレスチナで何が起こっているのか、その中で作家は何を見、何を書いたのか。そこに何を込めたのか。それは戦争と殺戮の中で人間が何ものであり得るのか、と言うと問いとも重なり合いながら、文学の意味を捉えなおす。文学が何であり得るのか、あるいは何でしかありえないのか。


内容は、実際に本を手にとって読んで欲しいと思う。そこには極限的な状況の中で、例えば難民キャンプで生まれ、育ち、出口がどこにも見えない中で、生き続ける以外に選択肢がないまま数十年を過ごしてきた人々がいる。その状況に対して、人間の希望とは何であり得るのか。人間の愛は、物語は何であり得るのか。そうしたことが書かれている。要約すべきではないと思う言葉が、アラブの作家たちの文章とともに書き記されている。


いま要約すべきではないと書いた。しかし、その断片の一つをここに記しておきたい。私はこうした引用によって、あたかもその文章を読んだような気持ちになってしまうことをむしろ恐れる。けれども、その断片が見知らぬ世界への小さな扉を開く力になることを願うからだ。直接それに触れることから感じとるものがあるのではないかと期待するからだ。


「小説もまた、そのようなものであるとは言えないだろうか。痛みをただ生きることだけしかできない者たちのために、彼らが耐え忍ぶ痛みのゆえに、彼らの知らないところで、彼らに捧げられたひそやかな祈り……。だとすれば、アフリカで飢えている子どもたちを前にして文学に何ができるのか、と言うサルトルの問いに、私たちはこうこう答えることができるのかもしれない――小説は祈ることができる、と。だが祈りとして書かれた小説が、いままさに餓死せんとしている子どもを死から救うのかと問われれば、祈りが無力であるのと同じように、小説もまた無力であるにちがいない。
孤独のなかに打ち棄てられている者たちにとって、自分たちのために祈る者がいると知ることは、一つの救いだろう。〔…〕だが祈りの多くは、祈りを捧げられるものたちがそれを知ることなく、密やかに行われるものだ。」〔p299〕


「極言すれば、いま、すでに起きている事柄に対して祈りそれ自体が無力であるように、小説は無力である。」
「では祈ることが無力であるなら、祈ることは無意味なのか。私たちは祈ることをやめてよいのか。しかし、いま、まさに死んでゆく者に対して、その手を握ることさえ叶わないとき、あるいは、すでに死者となった者たち、そのとりかえしのつかなさに対して、私たちになお、できることがあるとすれば、それは、祈ることではないのだろうか。〔…〕
薬も水も一片のパンも、もはや何の力にもならない、餓死せんとする子どもの、もし、その傍らにいることができたなら、私たちはその手をとって、決して孤独のうちに逝かせることはないだろう。あるいは、自爆に赴こうとする青年が目の前にいたら、身を挺して彼の行く手を遮るだろう。だが、私たちはそこにいない。彼のために、祈ること、それが私たちにできるすべてである。だから小説は、そこにいない者たち、いなかった者たちによって書かれるのだ。もはや私たちには祈ることしかできないそれらの者たちのために、彼らに捧げる祈りとして。」(p301)

  パウル・ツェランの言葉について書いた。ツェランには激しく詩に託するものがあり、詩人の金時鍾をして驚嘆させたと書いた。以下がそのもとになるものだ。


まずはパウル・ツェランの言葉が引用されている。


 「詩は言葉が現われるひとつの姿なのですから、また、したがってその本質からして対話的なものなのですから、詩はひとつの投壜通信であるのかもしれません。どこかに、どこかの岸に、ひょっとすれば心の岸に打ち寄せられるかもしれないという信念――必ずしもいつも確かな希望をもってではありませんが――のもとに、波に委ねられる投壜通信です。詩は、このようなあり方においてもまた、途上にあるのです。つまり詩は何かにむかって進んでいるのです。何にむかっているのでしょう。開かれている何か、占有しうる何か、ひょっとすれば語りかける『あなた』。語りかけうる現実にむかってです」。

私(以下の3つの段落、金時鍾 引用者注)がまず驚かされるのは詩はその本質からして対話的なものだとする、ツェランの詩に寄せる思い入れの深さである。世界が終るかのようなこの世の生き地獄をまざまざと眼に焼きつけた人の言葉だけに、それは人間としての希求を精一杯ふりしぼっている、心の奥の叫びのようにもひびいてくるのだ。詩を人生のよすがとしている私でさえ、ありていに言って詩はむしろ生の痕跡、洞窟の岩肌にひっかき傷をとどめるような、すぐれて個的な所為だと決めこんでいた。

これは多分に日本語で詩を書くことの私の無力感、詩は軽んじられ詩人は疎まれるものと相場がきまっている日本で、それでも詩にかかずらっていねばならない己れの孤絶めいたもどかしさが生みだした、一種の諦念だったともいえそうな気がする。いずれにせよ詩がかかえる“対話”など、私の認識にはない方法意識だった。

ましてや詩が、何かに向かって進んでいる託された言葉の漂いであり、在り方自体がすでに物事の途上であるとは、なんと鮮かな詩の可能性への賛歌だろう。これだけの視座を、自己の視野に収めた詩人を私は外に知らない。

(金時鍾 岩波書店『思想』2000年1号 思想の言葉)



ツェランは海難事故にあった昔の船乗りたちが、自分の思いを込めて手紙をビンに詰め海にながしたように、詩とその言葉に思いのすべてを託した。ビンに詰め込み、海に流して、一体どのくらいの確率で人の手に渡るだろう。けれどもその極微な確率も彼には、彼らには夢のような可能性だった。夢のようなと自覚しながら、それは可能性だった。そしてその可能性こそが人間を生きながらえさせるのだろう。あるいは人間の何かを、その核に静かに存在している魂のようなものを保持させるのだろう。


金時鍾はそれを「鮮やかな詩の可能性への讃歌」だという。確かにそうかもしれない。
しかし本当にそうだろうか。同じ言葉で語るにしても、私にはまったく違うニュアンスを感じられる。

ツェランはこうも言っている。

 「様々な喪失のただ中で、手に届くものとして、近くにあるものとして、失われず残ったものは言葉だけでした。言葉は失われることなく残ったのでした。そうです、すべての出来事にもかかわらず。しかしその言葉は自分自身の答えのないことのなかを、恐ろしい沈黙のなかを、死をもたらす千の闇のなかを抜けてこなければなりませんでした。言葉はそれらを抜けてきました、しかし言葉はこれらの出来事のなかを抜けていったのです。抜けていき、再び明るみに出ることができました、すべての出来事に『豊かにされて』。あの歳月、そしてその後の歳月のなかで、私はこの言葉で詩を書こうとしました。」
(パウル・ツェラン全詩集Ⅲ 中村朝子訳 青土社 p257)


ナチス支配下に生きたユダヤ人として、彼にはもう言葉しか残されていなかったのではないのだろうか。他に何もなく、彼には本当に言葉しかなかったのではないか。だからその言葉に託されたものは、本来言葉にならない、失われた存在であり、いのちであり、時間であり、過去であり、未来であり、そうした生きた、しかし生き続けることができなかった人間のすべてだったのではないだろうか。だから彼の詩は難解になり、言葉を破壊し、解体するようになっていくのではないのだろうか。言葉にすることができないものを、そのすべてを言葉に託するしかないとき、言葉は言葉以外の何ものかにならざるを得ないのではないか。

海に流されるビンの中に詰め込まれるのはただの言葉なのではない。
生きた自分の存在であり、その歴史であり、家族や愛するものへの限りない想いであり、希望であり、絶望であり、そうしたすべてなのだと思う。生きられたすべてをそこに封じ込め、そして極微の可能性にむかって送り出す。
だから、もしツェランの言葉が「鮮やかな詩の可能性への讃歌」に思われるのであれば、それはきっと、絶望の底から、その時代と人間の暗黒の闇から、他に希望を託する以外にない微かな光へ、彼が全力で精一杯、力一杯、手を伸ばし、何かをつなごうとしている、その姿なのだと思う。届かないと、それは夢なのだと分かりながら、そこに向かって言葉を発するしかなかった詩人の姿があるのだと思う。



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