since Aug.2009.......「声低く語れ(parla basso)」というのはミケランジェロの言葉です。そして林達夫の座右の銘でもありました。 ふだん私は教室でそれこそ「大きな声で」話をしている気がします。そうしないといけないこともあるだろうと思います。けれども、本当に伝えたいことはきっと「大きな声」では伝えられないのだという気がします。ということで、私の個人のページを作りました。
パウル・ツェランの言葉について書いた。ツェランには激しく詩に託するものがあり、詩人の金時鍾をして驚嘆させたと書いた。以下がそのもとになるものだ。
まずはパウル・ツェランの言葉が引用されている。
「詩は言葉が現われるひとつの姿なのですから、また、したがってその本質からして対話的なものなのですから、詩はひとつの投壜通信であるのかもしれません。どこかに、どこかの岸に、ひょっとすれば心の岸に打ち寄せられるかもしれないという信念――必ずしもいつも確かな希望をもってではありませんが――のもとに、波に委ねられる投壜通信です。詩は、このようなあり方においてもまた、途上にあるのです。つまり詩は何かにむかって進んでいるのです。何にむかっているのでしょう。開かれている何か、占有しうる何か、ひょっとすれば語りかける『あなた』。語りかけうる現実にむかってです」。
私(以下の3つの段落、金時鍾 引用者注)がまず驚かされるのは詩はその本質からして対話的なものだとする、ツェランの詩に寄せる思い入れの深さである。世界が終るかのようなこの世の生き地獄をまざまざと眼に焼きつけた人の言葉だけに、それは人間としての希求を精一杯ふりしぼっている、心の奥の叫びのようにもひびいてくるのだ。詩を人生のよすがとしている私でさえ、ありていに言って詩はむしろ生の痕跡、洞窟の岩肌にひっかき傷をとどめるような、すぐれて個的な所為だと決めこんでいた。
これは多分に日本語で詩を書くことの私の無力感、詩は軽んじられ詩人は疎まれるものと相場がきまっている日本で、それでも詩にかかずらっていねばならない己れの孤絶めいたもどかしさが生みだした、一種の諦念だったともいえそうな気がする。いずれにせよ詩がかかえる“対話”など、私の認識にはない方法意識だった。
ましてや詩が、何かに向かって進んでいる託された言葉の漂いであり、在り方自体がすでに物事の途上であるとは、なんと鮮かな詩の可能性への賛歌だろう。これだけの視座を、自己の視野に収めた詩人を私は外に知らない。
ツェランは海難事故にあった昔の船乗りたちが、自分の思いを込めて手紙をビンに詰め海にながしたように、詩とその言葉に思いのすべてを託した。ビンに詰め込み、海に流して、一体どのくらいの確率で人の手に渡るだろう。けれどもその極微な確率も彼には、彼らには夢のような可能性だった。夢のようなと自覚しながら、それは可能性だった。そしてその可能性こそが人間を生きながらえさせるのだろう。あるいは人間の何かを、その核に静かに存在している魂のようなものを保持させるのだろう。
金時鍾はそれを「鮮やかな詩の可能性への讃歌」だという。確かにそうかもしれない。
しかし本当にそうだろうか。同じ言葉で語るにしても、私にはまったく違うニュアンスを感じられる。
ツェランはこうも言っている。
「様々な喪失のただ中で、手に届くものとして、近くにあるものとして、失われず残ったものは言葉だけでした。言葉は失われることなく残ったのでした。そうです、すべての出来事にもかかわらず。しかしその言葉は自分自身の答えのないことのなかを、恐ろしい沈黙のなかを、死をもたらす千の闇のなかを抜けてこなければなりませんでした。言葉はそれらを抜けてきました、しかし言葉はこれらの出来事のなかを抜けていったのです。抜けていき、再び明るみに出ることができました、すべての出来事に『豊かにされて』。あの歳月、そしてその後の歳月のなかで、私はこの言葉で詩を書こうとしました。」
ナチス支配下に生きたユダヤ人として、彼にはもう言葉しか残されていなかったのではないのだろうか。他に何もなく、彼には本当に言葉しかなかったのではないか。だからその言葉に託されたものは、本来言葉にならない、失われた存在であり、いのちであり、時間であり、過去であり、未来であり、そうした生きた、しかし生き続けることができなかった人間のすべてだったのではないだろうか。だから彼の詩は難解になり、言葉を破壊し、解体するようになっていくのではないのだろうか。言葉にすることができないものを、そのすべてを言葉に託するしかないとき、言葉は言葉以外の何ものかにならざるを得ないのではないか。
海に流されるビンの中に詰め込まれるのはただの言葉なのではない。
生きた自分の存在であり、その歴史であり、家族や愛するものへの限りない想いであり、希望であり、絶望であり、そうしたすべてなのだと思う。生きられたすべてをそこに封じ込め、そして極微の可能性にむかって送り出す。
だから、もしツェランの言葉が「鮮やかな詩の可能性への讃歌」に思われるのであれば、それはきっと、絶望の底から、その時代と人間の暗黒の闇から、他に希望を託する以外にない微かな光へ、彼が全力で精一杯、力一杯、手を伸ばし、何かをつなごうとしている、その姿なのだと思う。届かないと、それは夢なのだと分かりながら、そこに向かって言葉を発するしかなかった詩人の姿があるのだと思う。
まずはパウル・ツェランの言葉が引用されている。
「詩は言葉が現われるひとつの姿なのですから、また、したがってその本質からして対話的なものなのですから、詩はひとつの投壜通信であるのかもしれません。どこかに、どこかの岸に、ひょっとすれば心の岸に打ち寄せられるかもしれないという信念――必ずしもいつも確かな希望をもってではありませんが――のもとに、波に委ねられる投壜通信です。詩は、このようなあり方においてもまた、途上にあるのです。つまり詩は何かにむかって進んでいるのです。何にむかっているのでしょう。開かれている何か、占有しうる何か、ひょっとすれば語りかける『あなた』。語りかけうる現実にむかってです」。
私(以下の3つの段落、金時鍾 引用者注)がまず驚かされるのは詩はその本質からして対話的なものだとする、ツェランの詩に寄せる思い入れの深さである。世界が終るかのようなこの世の生き地獄をまざまざと眼に焼きつけた人の言葉だけに、それは人間としての希求を精一杯ふりしぼっている、心の奥の叫びのようにもひびいてくるのだ。詩を人生のよすがとしている私でさえ、ありていに言って詩はむしろ生の痕跡、洞窟の岩肌にひっかき傷をとどめるような、すぐれて個的な所為だと決めこんでいた。
これは多分に日本語で詩を書くことの私の無力感、詩は軽んじられ詩人は疎まれるものと相場がきまっている日本で、それでも詩にかかずらっていねばならない己れの孤絶めいたもどかしさが生みだした、一種の諦念だったともいえそうな気がする。いずれにせよ詩がかかえる“対話”など、私の認識にはない方法意識だった。
ましてや詩が、何かに向かって進んでいる託された言葉の漂いであり、在り方自体がすでに物事の途上であるとは、なんと鮮かな詩の可能性への賛歌だろう。これだけの視座を、自己の視野に収めた詩人を私は外に知らない。
(金時鍾 岩波書店『思想』2000年1号 思想の言葉)
ツェランは海難事故にあった昔の船乗りたちが、自分の思いを込めて手紙をビンに詰め海にながしたように、詩とその言葉に思いのすべてを託した。ビンに詰め込み、海に流して、一体どのくらいの確率で人の手に渡るだろう。けれどもその極微な確率も彼には、彼らには夢のような可能性だった。夢のようなと自覚しながら、それは可能性だった。そしてその可能性こそが人間を生きながらえさせるのだろう。あるいは人間の何かを、その核に静かに存在している魂のようなものを保持させるのだろう。
金時鍾はそれを「鮮やかな詩の可能性への讃歌」だという。確かにそうかもしれない。
しかし本当にそうだろうか。同じ言葉で語るにしても、私にはまったく違うニュアンスを感じられる。
ツェランはこうも言っている。
「様々な喪失のただ中で、手に届くものとして、近くにあるものとして、失われず残ったものは言葉だけでした。言葉は失われることなく残ったのでした。そうです、すべての出来事にもかかわらず。しかしその言葉は自分自身の答えのないことのなかを、恐ろしい沈黙のなかを、死をもたらす千の闇のなかを抜けてこなければなりませんでした。言葉はそれらを抜けてきました、しかし言葉はこれらの出来事のなかを抜けていったのです。抜けていき、再び明るみに出ることができました、すべての出来事に『豊かにされて』。あの歳月、そしてその後の歳月のなかで、私はこの言葉で詩を書こうとしました。」
(パウル・ツェラン全詩集Ⅲ 中村朝子訳 青土社 p257)
ナチス支配下に生きたユダヤ人として、彼にはもう言葉しか残されていなかったのではないのだろうか。他に何もなく、彼には本当に言葉しかなかったのではないか。だからその言葉に託されたものは、本来言葉にならない、失われた存在であり、いのちであり、時間であり、過去であり、未来であり、そうした生きた、しかし生き続けることができなかった人間のすべてだったのではないだろうか。だから彼の詩は難解になり、言葉を破壊し、解体するようになっていくのではないのだろうか。言葉にすることができないものを、そのすべてを言葉に託するしかないとき、言葉は言葉以外の何ものかにならざるを得ないのではないか。
海に流されるビンの中に詰め込まれるのはただの言葉なのではない。
生きた自分の存在であり、その歴史であり、家族や愛するものへの限りない想いであり、希望であり、絶望であり、そうしたすべてなのだと思う。生きられたすべてをそこに封じ込め、そして極微の可能性にむかって送り出す。
だから、もしツェランの言葉が「鮮やかな詩の可能性への讃歌」に思われるのであれば、それはきっと、絶望の底から、その時代と人間の暗黒の闇から、他に希望を託する以外にない微かな光へ、彼が全力で精一杯、力一杯、手を伸ばし、何かをつなごうとしている、その姿なのだと思う。届かないと、それは夢なのだと分かりながら、そこに向かって言葉を発するしかなかった詩人の姿があるのだと思う。
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