since Aug.2009.......「声低く語れ(parla basso)」というのはミケランジェロの言葉です。そして林達夫の座右の銘でもありました。 ふだん私は教室でそれこそ「大きな声で」話をしている気がします。そうしないといけないこともあるだろうと思います。けれども、本当に伝えたいことはきっと「大きな声」では伝えられないのだという気がします。ということで、私の個人のページを作りました。
指導の土台として社会学の文献を読むうちに見田宗介の『現代社会の理論』(岩波新書)と出会い、、センター試験の問題文で石牟礼道子の文章を読んだ。1996年に見田の本が出版されたころ、社会的にはもう水俣病は終わった、過去のものと思われていたのではないかという気がする。見田はその本の2章で1節を設けて水俣病について記した。石牟礼道子はその水俣病をみつめ、共に生き、もっとも初期のそして最も根源的な告発の書である『苦海浄土』を記した。石牟礼の告発の根源性は声高なものではない。むしろひとり一人の人間への愛情とその眼差し、そして美しかった不知火の海への想いが交錯するところから水俣の病が浮かび上がってくる。
評論文などで近代の問題性を扱ったものが多数ある。
それは一種の問題群をなしている。河合塾の『現代文のキーワード』では「問題群としての近代」という項も設けられている。
確かに歴史が動いていくものである以上、一つの時代はいつしか問題群となり、次の時代へ移り変わって行かなくてはならないだろう。
けれどもそれは抽象的な世界のことではない。その問題群の下には生身の人間が生き、そして死んでいく。優れた評論文は問題群を抽象的な「問題群」としてではなく、その水面下に生きた人間を捉えることを要求する。またそこに原点がある。
例えばナチスの迫害を逃れて第二次世界大戦中、アメリカに亡命していたドイツの社会学者のテオドール・アドルノは「アウシュビッツの後、詩を書くことは野蛮である」と述べた。同じフランクフルト学派に属していたヴァルター・ベンヤミンは、膨大な未完の論考を抱え、ナチスの追及から逃げまどい1940年9月26日、ピレネー山中で服毒死をした。その際抱えていた未完の論考は、膨大な『パサージュ論』として出版されている。彼はユダヤ人だった。強制収容所で死んだのではない。けれども彼もまた収容所の同胞たちと同じものに捉えられていたと言うべきだろう。
哲学者のサルトルは確かヒロシマ、ナガサキの原爆をしり、人類が自分たちを全滅させる手段を握ってしまったという事実を前にして、「人類は、自らの意志で自らの存続を打ち立てなくてはならなくなった」という趣旨のことを述べた。
現代史において生み出された大きな問題を、その時代を生きている責任において捉えようとする意志があり、同時に、新しい時代のありようの模索が始まる。
しかし、こうした戦争や戦時に端を発する<近代への批判>と別に環境問題、貧困と飢餓の問題、いわゆる「公害」などの問題がある。見田宗介の先述の著作は、こうした中で書かれた。そしてもっとも激しく深刻なものとして水俣病が上げられていた。
(それ以外に石弘之の『地球環境報告』とレイチェル・カーソンの『沈黙の春』、スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』などが取り上げられている)
そこで原田正純氏の『水俣病』(岩波新書 1972年11月刊)を読んだ。
私は自分の不明を深く恥じた。一体この世界の、この社会の何を知ってきたのだろうかと思った。犬養道子の言葉をかりれば「見ないことが罪なのだ」(『未来からの過去』)ということなのだと思う。
(以下、別稿で)
評論文などで近代の問題性を扱ったものが多数ある。
それは一種の問題群をなしている。河合塾の『現代文のキーワード』では「問題群としての近代」という項も設けられている。
確かに歴史が動いていくものである以上、一つの時代はいつしか問題群となり、次の時代へ移り変わって行かなくてはならないだろう。
けれどもそれは抽象的な世界のことではない。その問題群の下には生身の人間が生き、そして死んでいく。優れた評論文は問題群を抽象的な「問題群」としてではなく、その水面下に生きた人間を捉えることを要求する。またそこに原点がある。
例えばナチスの迫害を逃れて第二次世界大戦中、アメリカに亡命していたドイツの社会学者のテオドール・アドルノは「アウシュビッツの後、詩を書くことは野蛮である」と述べた。同じフランクフルト学派に属していたヴァルター・ベンヤミンは、膨大な未完の論考を抱え、ナチスの追及から逃げまどい1940年9月26日、ピレネー山中で服毒死をした。その際抱えていた未完の論考は、膨大な『パサージュ論』として出版されている。彼はユダヤ人だった。強制収容所で死んだのではない。けれども彼もまた収容所の同胞たちと同じものに捉えられていたと言うべきだろう。
哲学者のサルトルは確かヒロシマ、ナガサキの原爆をしり、人類が自分たちを全滅させる手段を握ってしまったという事実を前にして、「人類は、自らの意志で自らの存続を打ち立てなくてはならなくなった」という趣旨のことを述べた。
現代史において生み出された大きな問題を、その時代を生きている責任において捉えようとする意志があり、同時に、新しい時代のありようの模索が始まる。
しかし、こうした戦争や戦時に端を発する<近代への批判>と別に環境問題、貧困と飢餓の問題、いわゆる「公害」などの問題がある。見田宗介の先述の著作は、こうした中で書かれた。そしてもっとも激しく深刻なものとして水俣病が上げられていた。
(それ以外に石弘之の『地球環境報告』とレイチェル・カーソンの『沈黙の春』、スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』などが取り上げられている)
そこで原田正純氏の『水俣病』(岩波新書 1972年11月刊)を読んだ。
私は自分の不明を深く恥じた。一体この世界の、この社会の何を知ってきたのだろうかと思った。犬養道子の言葉をかりれば「見ないことが罪なのだ」(『未来からの過去』)ということなのだと思う。
(以下、別稿で)
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