忍者ブログ
since Aug.2009.......「声低く語れ(parla basso)」というのはミケランジェロの言葉です。そして林達夫の座右の銘でもありました。                        ふだん私は教室でそれこそ「大きな声で」話をしている気がします。そうしないといけないこともあるだろうと思います。けれども、本当に伝えたいことはきっと「大きな声」では伝えられないのだという気がします。ということで、私の個人のページを作りました。
1 2
[  11/25  [PR]  ]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 プルーストの「見出されし時」を続けて読む。物を読むということは透明を担うものでなければならない。透明になってくるまで、緩っくりと、倦むことなく、何度でもやりなおさなければならない……。感性と知識と表現との堅固な網が僕の内に形成される。その網の固い結び目(ゴルディアス王の結び目)は僕の内奥に在るのだ。《花開くような》自己形成。そこでは行動が記憶に優先する。成長に伴う苦痛が僕をつらぬくが、僕はそれを歓んで耐える。(「全集」14巻 p215)

 こうした奥行きに到達することがいつかは出来るのだろうか。
 森有正の日記をときどき読むにつけ、そうした思いにかられる。いつものことだが、彼の文章を読むのは自分を打ちのめそうとしている時なのではないかと思う。何かを学び取るとか、知るとか、あるいは「感動する」とか、そうしたことを求めて読むということからはるかに遠いところに私にとっての森有正の言葉は存在している。その深みに触れたいと思うということでもない。彼が考えていたということを知りたいということとも異なる。ただそのページを開いても、理解するということを拒絶するような硬質なものに遭遇することになる。

 一時期、アンゲロプロスの映画を立て続けに見ていたことがあった。その感覚に近いかもしれない。簡単に、あるいは永遠に理解するということが出来ないかもしれないと思わせるものがそこに在る。そう思った時、モノに触れるということはこういうことなのか、と感じたことがある。例えば山に登っている時、その風景に接して言葉を失ってしばらくその場に立ちつくす。その時、何かを解釈したり、その意味を考えたりするわけではない。その風景はそんなことを求めてはいない。あれこれと言葉をならべはじめたとき、その風景は私から遠ざかる。そうやって遠ざかりながら、言葉を通してしかみることができない風景もある。けれども遠ざかることで見えなくなることも当然、ある。
 アンゲロプロスの映画や森の言葉にはそうしたことにつながるものがあるような気がする。
PR
 ベンヤミンの「認識批判的序説」を読むのを断念した。いったいどれくらいの時間をこの文章の上に投入してきただろうか。

 細部をクリアにできるか全体の構造がつかめるか、いずれかがはっきりしてくるならばそれなりに解きほぐしていけるのだろうが、いまの私の力量ではその両方が一つの像を結ばない。理念、概念、現象…そんな基本的なタームがわからない。すべてにおいて曖昧で、ぐにゃぐにゃした状態を脱することができない。
 ベンヤミンの研究書だって読んだんだ。それは通り一遍にわかる。けれども、どうにもこうにも「なるほど」と腑に落ちるものが何もない。

 並行してベンヤミンの言語理論を少し繙いてみた。著作集の3巻。「言語と社会」所収のもの。最初の論文は、彼が24歳の時に書いた「言語一般および人間の言語」。驚いた。ベンヤミンの言語についての認識は私の想像とはまったくことなっていた。そしてその7年後に書いた上記の「認識批判的序説」は部分的にその直接的な延長線上で書かれている。

 ベンヤミンは事物の言語を考えている。人間の言語だけではなく、事物に精神的本質を認め、その言語について論じている。それは彼がユダヤ教徒であったことに起因しているのかもしれない。そうか、と思う。創世記は言葉=ロゴスにはじまる。事物は神がつくったものとして精神的・言語的本質を有するものとして彼には感得されている。

 読めないはずだ。私は言語をどこまでも人間の言語のうちで考えていた。まったく世界の感受の仕方がちがう。


 そういえば、得心のいくことがある。

 幼年時代にこだわり、事物のデティールに滑りこむようにして彼は歴史を幼年期に向かって遡上する。それは箪笥のかげで、納戸のおくで、庭の隅の植え込みの向こう側でおこなわれる一つの冒険だ。
 そして晩年の彼はパリのパサージュ論の大量の論稿をかかえていた。パリの街路の19世紀の姿を活写する。
 そうか、と思う。

 ベンヤミンにとってこの世界は、囁くような言葉に満ちていたのかもしれない。それはいま目に見えているものの声ではない。「歴史哲学テーゼ」では、過去の廃墟に潜む鈍く光るものを救済しようとする。そしてその廃墟の中には1919年の血の海に沈められたドイツ革命や暗殺されたローザ・ルクセンブルグが立っているに違いない。

 世界は、事物は、あるいは歴史をその衣の下に潜ませた事物は、ベンヤミンのこっそりとささやきかけていたような気がする。それはちょうど、ナチス支配下のパリで、ユダヤ人であるベンヤミンたちがひっそりとした短い言葉でしか本当に言いたいことを語ることができなかったことと同じなのかもしれない。


 そうしたベンヤミンの姿を捉えたい。その視界を垣間見たい。
 だからいま、ベンヤミンの言語論を読み、あわせてパサージュ論を読み始めた。ついでにへいこうしてアドリアンヌ・モニエの「オデオン通り」を読んでいる。書店「本の友の家」を主催し、1920年代、30年代のパリのアヴァンギャルドたちのなかに場所を提供した彼女の回想には、オデオン通りを遊歩するベンヤミンがもうすぐ姿を見せることになる。

 文学を志し、ポール・ヴァレリーのもとに通い、周囲の心配する声にもかかわらず収容所にとらわれたユダヤ人たちの支援活動をしていたエレーヌ・ベールという女性がいる。ユダヤ人として、非ユダヤの友人たちのナチスに対するあまりの鈍感さに直面しながら、彼女はどこかで自分も収容所で命を落とすことになるだろうとどこかで予感し、それでもパリを脱出しなかった。少し前に彼女の日記は邦訳が出版された。日記は彼女が強制収容所に連行される直前で終わっている。もう日記を書くこと、書き残すことはできなかった。

 きっとオデオン通りにはエレーヌも姿を見せたことだろう。ひょっとするとベンヤミンと彼女はどこかですれ違っていたかもしれない。1930年代はそうした時代だった。そのなかでベンヤミンは小さな消されてしまいそうな言葉を聞き届けていたのだろう。


  ようやく石牟礼道子の『苦海浄土』を読み始めた。ずっと昔、一度は手に取り、読み切らなかった記憶がある。なぜ読み切らなかったのだろう? 「読むべき時期」ではなかったからなのだろうか。

本や音楽、映画などには私にとっての「時期」というものがあるような気がする。例えばギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの作品を初めて見たのは『シテール島への船出』だった。見たときは良く分からなかった。けれどもなぜか数年たってもう一度見た。最後のシーンが強く印象に残った。そして今また、彼の作品をしっかり見たいと思う。
きっと初めて見たときの印象はあったのだろう。その時にそれを受け止めることが私にはできなかった。けれども何かが残され、それが生きつづけていて、数年後に蘇ってきたのだろうと思う。その時が見るべき時期だったのだと思う。

石牟礼道子が聞き取り、書き取る水俣の言葉には懐かしさがただよう。私は佐賀で生まれた。小学生のころはしばしば祖父母たちのいる場所に帰った。
同じではないのだろう。けれども『苦海浄土』の言葉は、私の中のどこかに響く。

(まだつづきがあります。「つづきはこちら」へ)
  読むことをめぐって文章を書いてきた。それにしてもこの内田義彦の『読書と社会科学』をめぐる文章はいつおわるのだろうか。ある程度のイメージはあったが、全体にプロットなどを考えずに書き出したためとんでもないことになってきている。はたしてゴールはあるのだろうか。あるとしてそこに辿り着けるのだろうか。非常に不安だ。しかも相対的に別の内容も混じりそうなので、いっそう終わりが見えない。

さて、その別の話題。ちょっと社会学の話。
(以下、 つづきはこちら へ)

  前回、内田義彦の「読むということ」について、①情報として読む、②古典として読む、という二つの読み方がある。そして古典として読むということは、情報を受け取るだけではなく、受け取る「目そのもの」を変えてしまうような「読み」であると述べた。同じものを見ている、読んでいるにもかかわらず、別の内容を受け取る。それは「受け取る目」がかわるということだった。
ここから逆に内田は「古典とは読み手自身の成長とともに、読め方が変わってくるもの」であり、丁寧に読むほどに受け取る内容がちがってくる、理解が違ってくるものだと定義している。
(以下は つづきはこちら へ)
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新CM
[12/21 T.A]
[10/01 T.A]
[10/01 T.A]
最新TB
プロフィール
HN:
toshi
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
アクセス解析

忍者ブログ [PR]
"toshi" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP @ SAMURAI FACTORY INC.