since Aug.2009.......「声低く語れ(parla basso)」というのはミケランジェロの言葉です。そして林達夫の座右の銘でもありました。 ふだん私は教室でそれこそ「大きな声で」話をしている気がします。そうしないといけないこともあるだろうと思います。けれども、本当に伝えたいことはきっと「大きな声」では伝えられないのだという気がします。ということで、私の個人のページを作りました。
昨日、送別会があった。講師のWとYが退職した。
現在の前身にあたる教室があった。それは1年で親会社の倒産で閉鎖を余儀なくされた。その時の第一期、第二期に入社した講師がこれでいなくなった。
倒産=教室閉鎖を一緒にこえてきた講師と教務がまだ4人、残っている。
けれども、一つの幕が下りたような気がする。
一週間後に入試を控えている生徒がいて、その指導を23:20くらいまでやっていた。そのため、送別会に出ることができなかった。申し訳ないことをした。
けれども、生徒がいるところが私のホームポジション。許してくれるだろうと思う。
そういえば、教室が閉鎖した時、あちらこちらの場所を借りて、浮遊するようにして指導を継続した時期があった。その時、私は、「生徒と講師さえいれば、指導はできる」と言っていたらしい。記憶にないけれども。
きっと私のいるべきところは、どこかの場所なのではなく、生徒と講師がいる、その空間なのだろう。
送別会に出られなかったけれども、ちょっとビールを飲みました。
お疲れ。ありがとう。
現在の前身にあたる教室があった。それは1年で親会社の倒産で閉鎖を余儀なくされた。その時の第一期、第二期に入社した講師がこれでいなくなった。
倒産=教室閉鎖を一緒にこえてきた講師と教務がまだ4人、残っている。
けれども、一つの幕が下りたような気がする。
一週間後に入試を控えている生徒がいて、その指導を23:20くらいまでやっていた。そのため、送別会に出ることができなかった。申し訳ないことをした。
けれども、生徒がいるところが私のホームポジション。許してくれるだろうと思う。
そういえば、教室が閉鎖した時、あちらこちらの場所を借りて、浮遊するようにして指導を継続した時期があった。その時、私は、「生徒と講師さえいれば、指導はできる」と言っていたらしい。記憶にないけれども。
きっと私のいるべきところは、どこかの場所なのではなく、生徒と講師がいる、その空間なのだろう。
送別会に出られなかったけれども、ちょっとビールを飲みました。
お疲れ。ありがとう。
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